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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)241号 判決 1995年11月28日

東京都板橋区小豆沢4丁目19番10号

原告

成和化成株式会社

同代表者代表取締役

島善次

同訴訟代理人弁理士

笹山善美

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 清川佑二

同指定代理人

鐘尾宏紀

鵜飼健

花岡明子

関口博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成4年審判第13244号事件について平成6年9月6日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年10月30日、名称を「青果物の保存包装材料及び保存方法」(ただし、後に「青果物の保存包装材料」と訂正)とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(特願昭59-228296号)をし、平成3年1月11日、出願公告(特公平3-1942号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成4年6月16日、特許異議の申立ては理由があるとの決定とともに拒絶査定を受けたので、同年7月15日に審判を請求した。特許庁は、この請求を平成4年審判第13244号事件として審理した結果、平成6年9月6日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年10月5日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

非密閉型の包装材料にヒノキチオールまたはヒノキチオールの包接化合物を含有させたことを特徴とする青果物の保存包装材料。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  特公昭53-35145号公報(以下「引用例」という。)には、「植物の鮮度保持用容器」に関する発明が記載されており、具体的には、「アプサイシン酸若しくはこの誘導体、トロポロン若しくはこの誘導体、環状テルペンアルコール及び環状テルペンエーテルから選ばれた少なくとも一種若しくは二種以上の化合物を、1気圧、25℃における炭酸ガスの透過度が約5500~70000ml/m3/24時間である密閉型容器内に内蔵させたことを特徴とする植物の鮮度保持用容器。」(特許請求の範囲)、「本発明に於いて使用されるトロポロンは・・・化合物が包含される。代表例としてヒノキチオール、・・等が挙げられる。」(3欄2~12行)、「本発明に於いて植物の鮮度を保持するには当該植物を上記の鮮度保持化合物と直接若しくは気体状態で接触せしめれば良く、その方法としては種種の態様を採用できる。例えば本発明に係る鮮度保持用化合物をフェルト、ろ紙等の担体に吸着させ、・・・容器内に植物と共に単に内蔵させるか、・・・容器内面に塗布、担持せしめた保存用容器を作製し、これに植物を保存する等の手段を採用しても良い。」(3欄31~42行)、「本発明の上記特定の炭酸ガス透過度を有する容器は、任意の方法で得れば良く、この際例えば特定の透過度からなる高分子フィルムを使用することは有効である。・・・高分子フィルムに鮮度保持用化合物を担持させ、次いでこのフィルムを用いて直接植物体を密封するか、・・・等の手段も採用できる。」(5欄7~25行)と記載され、また鮮度保持用化合物がいかなる理由で植物の鮮度保持効果を発現するのかは必ずしも明らかではないが、植物体内の酵素並びにホルモンに作用し、植物の代謝を低下させ、植物体を休眠状態に導くためと思われること、炭酸ガス透過度の上限値を限定したのは、炭酸ガス透過度が70000ml/m3/24時間を越えると容器内で植物を保存する際、植物鮮度保持用化合物が蒸散してしまうおそれがあると共に植物の呼吸作用の抑制が十分になされず、容器内炭酸ガスの逃散につれ水分も亦容器外へ逸散し、植物が比較的短時間に枯死する恐れがあること、実施例には鮮度保持用化合物の例の1つとしてヒノキチオールが、また植物としてスギ苗木、桃が示されている。

(3)  本願発明と引用例に記載されたものとを対比する。

本願発明においては、包装材料として、紙、不織布、布、合成樹脂フィルムあるいはダンボール箱等があげられ、包装の形態も、青果物の一部あるいは全部を包むとか、青果物の上に載せるとか、青果物の下に敷き込むとか、青果物を容器に入れ容器ごと包装する等することで十分であり、と記載されているように、引用例記載の容器である高分子フィルム及び箱と材料、使用態様において異なるものではない。また、引用例においては、植物の例として桃が示されるように青果物をも対象とするものである。このため、本願発明と引用例に記載されたものとは、「包装材料にヒノキチオールを含有させたことを特徴とする青果物の包装材料」である点で、一致する。

しかし、次の点で相違する。

<1> 包装材料が、本願発明では、非密閉型と限定されているのに対し、引用例に記載のものは密閉型である点。

<2> 包装材料が、本願発明は、保存包装材料であるのに対し、引用例に記載のものは鮮度保持用包装材料である点。

(4)  相違点<1>について、検討する。

本願発明でいう非密閉型は、本願明細書の、青果物を被覆、包装、収容したときに、外気と通気可能な状態を保てばよいとの記載(甲第3号証5頁3~4行)、及び合成樹脂フィルムで包む、あるいは箱に収容するとの記載内容からする限り、引用例に密閉型容器としてあげられた高分子フィルムあるいは箱とどの様な差異があるのか必ずしも明白ではない(引用例の高分子フィルムあるいは箱も外気と通気可能である)が、補正の趣旨からすると、その通気性が、本願発明のものは、1気圧、25℃における炭酸ガスの透過度が70000ml/m3/24時間を越えるものをいうと理解できる。

ところで、引用例において炭酸ガス透過度の上限を70000ml/m3/24時間と限定したのは、この値を越えると容器内で植物を保存する際、植物鮮度保持用化合物が蒸散してしまうおそれがあると共に植物の呼吸作用の抑制が十分になされず、容器内炭酸ガスの逃散につれ水分も亦容器外へ逸散し、植物が比較的短時間に枯死する恐れがあることによるのである。すなわち、炭酸ガス透過度の上限値を上記のごとく定めたのは、長期にわたり鮮度を保持しようとするためであり、引用例のものに比べ短期間で良ければこのような限定が必ずしも必要でないことは明らかである。してみれば、引用例における包装材料の炭酸ガス透過度を70000ml/m3/24時間を越えたものとすること、言い換えれば本願発明でいう「非密閉型」とすることに格段の創意が要されるとはいえない。

(5)  相違点<2>について検討する。

本願明細書において「青果物の保存効果、すなわち鮮度保持効果」と記載される(甲第3号証5頁5~6行)ように、引用例でいう鮮度保持と、本願発明の保存とに格別の相違があるということはできない。請求人(原告)は、保存の点について主として微生物や細菌等の増殖を抑制する効果を述べているが、鮮度保持という場合、微生物や細菌等の増殖を抑制することはその概念に包含されるものであるし、またヒノキチオールが、青果物を含め種々の物品における微生物や細菌等の増殖を抑制する効果を有することは本願出願前周知である(例えば、特公昭33-2835号公報、特公昭33-10577号公報、特開昭49-85230号公報参照)ことを考えれば、鮮度保持用化合物として少なくともヒノキチオールを用いた場合に、このような微生物や細菌等の増殖を抑制する効果を有することは当然想起しうる事項にすぎない。

(6)  したがって、本願発明は、引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)ないし(4)は認めるが、同(5)及び(6)は争う。

審決は、相違点<2>に対する判断を誤ったものであり、違法として取り消されるべきである。

(1)  引用例は、植物を休眠状態におくことでその鮮度を保持しようとしており、そこには、微生物(細菌、カビ)の侵襲を防止するという思想がない。

すなわち、鮮度保持という概念には、生物の「成長あるいは老化を抑制して新鮮さを保つこと」と、生物に付着する細菌類の繁殖を抑制あるいは阻止して「腐敗を防止すること」の二義があり、いずれに該当するかは、当該の明細書の記載内容全体に照らして判断すべきである。引用例(甲第2号証)では、明細書全体を通じて、細菌類の繁殖の抑制、阻止などの記述は全くなく、そこにあるのは、「植物体を一種の休眠状態におく」、別言すれば、植物体の「成長、老化を抑制する」という思想だけである。したがって、引用例における「鮮度保持」概念には、「腐敗防止」の思想は包含されていない。

また、引用例の実施例1における鮮度保持化合物の使用量は、包装容積1リットル当たりに換算して、0.28mg(ヒノキチオールの単独使用の場合)ないし0.56mg(アブサイシン酸アルデヒド前駆体との併用の場合)と少量であるが(甲第2号証6欄10行、11行)、この程度の使用量では、微生物の侵襲を防ぐことは不可能である。ヒノキチオールの諸細菌に対する繁殖最小阻止濃度は、細菌により異なるが、20mg/lないし100mg/lである(甲第7号証参照)。引用例の容積1リットル当たり約0.1グラムとの使用量(甲第2号証3欄30行)は、飽くまでも使用の可能性を示唆したにとどまり、その使用も、植物体を休眠状態におくためにすぎない。

さらに、引用例における実施例では、杉の苗木(実施例1)では活着率で、桃の果実(実施例4)では48時間後の呼吸量のみで鮮度保持効果を見ているが、これも、植物体を一種の休眠状態におくことだけを目的としていることを示している。

(2)  これに対し、本願発明は、ヒノキチオールを利用して青果物を微生物の侵襲から防ぐものである。

微生物の侵襲防止の点は、本願発明の特許請求の範囲中に積極的記載がないとしても、非密閉型の包装材料に含有させる物質として「ヒノキチオールまたはヒノキチオールの包接化合物」と明記されており、ヒノキチオールに細菌やカビに対する殺菌及び発育阻止の作用があることは、本願出願前から知られていることから、本願発明の要旨に含まれるものである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認めるが、同4は争う。審決の判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  本願発明の要旨は、「非密閉型の包装材料にヒノキチオールまたはヒノキチオールの包接化合物を含有させたことを特徴とする青果物の保存包装材料。」にあり、特許請求の範囲に微生物の侵襲を防止することあるいはそのために必要な量のヒノキチオールを使用することが記載されていない以上、本願発明の要旨に微生物の侵襲防止の点が含まれているということはできない。

したがって、本願発明の要旨には含まれていない事項あるいはそのような事項に基づく作用効果について引用例との相違を主張する原告の主張は、そもそも失当である。

(2)  鮮度保持という概念に微生物の増殖を抑制することも含まれることは、従来から広く認識されていることであり、引用例に積極的に腐敗を防止する旨の記載がないからといって、引用例のものにこのような認識が当てはまらないとする格別の根拠はない。

また、引用例には、「逆に上記炭酸ガス透過度が5500ml/m3/24時間より少ない場合は、水分の適当な逸散がなされないため、保存植物が腐敗するおそれがあり、やはり2週間程度以上の長期に亘る保存効果は期待し難くなる。このように本発明に依れば容器の炭酸ガス透過度が植物の鮮度保持効果に重大な影響を与え、これが5500~70000ml/m3/24時間の範囲にある限り、所期の優れた鮮度保持効果を奏し得るのである。」(甲第2号証4欄35行ないし44行)と、腐敗を防止することと鮮度保持との関係が記載されており、「腐敗」とは、微生物の作用により生じる現象であることは技術常識であるから、引用例のものにおける「鮮度保持」が微生物の増殖を抑制することを含むことは、この点からも明らかである。

(3)  ヒノキチオールの使用量についても、引用例には、鮮度保持化合物を包装容器の容積1リットル当たり約0.1グラム程度まで使用することが記載されているが(甲第2号証3欄29行、30行)、この使用量は、微生物の増殖を抑制する効果を奏するものである。この点からも、引用例記載の使用量では微生物の侵襲を防ぐことは不可能であるとすることはできない。

甲第7及び第8号証に記載されている諸細菌に対するヒノキチオールの繁殖最小阻止濃度は、いずれも引用例記載のもののようにヒノキチオールを密閉容器内で昇華させた場合にどの程度の量を使用すれば細菌の繁殖を阻止できるかを示したものではないから、引用例に記載のもののヒノキチオールの使用量で微生物の侵襲を防止することができないとする根拠とはなり得ない。

また、引用例のものは、本願発明とは異なり密閉状態で使用するものであるから、微生物の侵襲を防止するために必要なヒノキチオールの使用量は本願発明の場合と比較して少量となることはいうまでもない。

(4)  ヒノキチオールが青果物を含め種々の物品における微生物の増殖を抑制する効果を有することは本願出願前周知であることを考えれば、引用例に記載されたものにおいて、鮮度保持用化合物としてヒノキチオールを使用した場合に微生物の増殖を抑制する効果も有することは、明らかな又は当然想起し得る事項にすぎない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

そして、審決の理由の要点(1)ないし(4)は、当事者間に争いがない。

2  原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  本願発明の要旨にいう「保存」の意義について検討する。保存とは、一般に、現状のまま保持することを意味し、微生物の侵襲防止を意味するか否かは、「保存」という文言自体からは明確ではない。しかし、一般に、空気中で青果物が微生物の侵襲を受けて腐敗することは周知であって、青果物に対し微生物等の侵襲防止の手段を施さない限り青果物の保存ができないし、本願明細書の発明の詳細な説明中の「問題点を解決するための手段」に、「微生物の増殖を抑え」(甲第3号証3頁12行)ることが明記されていることからすると、本願発明の要旨にいう「保存」には、微生物の侵襲防止の概念が含まれるものと認めるべきである。

(2)  引用例に審決摘示の技術事項が記載されていること(請求の原因3、(2))は、前記判示のとおりである。そして、引用例の発明の詳細な説明(甲第2号証)にも、ヒノキチオールを使用した場合に、特許請求の範囲にいう「鮮度保持」が微生物の侵襲防止の点をも含むか否かについては、少なくとも直接記載されていない。

しかし、甲第4号証(特公昭33-2835号公報)には、ヒバ油中のヒノキチオールを主成分とする酸性物質を含有するワックスを青果物に塗布し、カビや腐敗を抑制することが記載され、甲第5号証(特公昭33-10577号公報)には、ヒノキチオール及びその誘導体を含有する成分を魚介類に直接添加することで腐敗を抑制することが記載され、甲第6号証(特開昭和49-85230号公報)には、気化したヒノキチオール等をカビに及ぼすことで防カビを図ることが記載され、また、昭和34年に発行された甲第7号証(竹中利雄「ヒノキチオールの防腐剤としての利用」食品工業1959年5月号51頁左欄)には、ヒノキチオールが広範な抗菌作用を有し、水産物の鮮度保持剤として使用されることが記載されており、これらによれば、ヒノキチオールが青果物を含めて種々の物品における微生物や細菌等の増殖を抑制する効果を有することは本件出願前周知であったと認められる。

そして、引用例の発明の詳細な説明中には、鮮度保持用化合物を容積1リットル当たり0.1グラム程度まで使用すれば十分であることが記載されていることが認められるが(甲第2号証3欄30行)、この使用量がヒノキチオールが微生物の侵襲防止の効果を生ずるのに十分な量であることは、当業者にとって自明というべきである(甲第7号証)。

したがって、引用例にヒノキチオールによる微生物の侵襲防止の点が直接記載されていないとしても、引用例において、鮮度保持用化合物としてヒノキチオールを用いた場合に微生物の侵襲を防止する効果も生ずるであろうことは、当業者において少なくとも当然に想起し得る事項であると認められる。

(3)  そうすると、相違点<2>についての審決の判断には、結局誤りはないものであり、審決には取り消すべき違法はない。

3  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

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